白石様堀

はくせきさまぼり 

野牛・高岩堀といわれる排水堀のうち、正徳3年(1713)に当時野牛村の領主であった新井白石がこの堀のうち野牛分を掘っており、「白石様堀」「殿様堀」などと呼ばれている。
新井白石は宝永6年(1709)から野牛村を領有した。その頃の野牛村は、低湿地でしばしば洪水にあい、排水が悪く良好な農地ではなかった。そこで白石は測渠を堀り、排水を良くしたので農地は良田となり収穫量も増えた。
白石堀は昭和53・54年のかんがい排水事業によって、鉄筋コンクリート柵渠による排水路の整備が行われた。さらに野牛・高岩土地区画整理事業を経て一部が暗渠になるなど、開削当時と比べると流路も含め姿は変わってしまったものの、今も排水路としての役割を果たしている。